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信濃町七不思議 その①

  • 執筆者の写真: S.S.
    S.S.
  • 2021年2月14日
  • 読了時間: 3分

こんにちは。

自粛生活も長くなってきました。我らが三四会卓球部も活動場所である信濃町キャンパス体育館に入れなくなってから、もうすぐ1年が経とうとしています…。授業についても実習以外は極力自宅・オンライン学習という状況が続いています。

ということで、少しでも信濃町気分が味わえるよう、愛しの(?)信濃町にまつわるコラムを連載していこうと思います。


さてみなさん。体育館がある信濃町キャンパスの建物、漢字で書けますか? 正解は「孝養舎」です。公用車は論外として、私も「考」と「孝」でいつも迷ってしまいます(笑)

義塾のHPによると、

とのことです。看護医療学部の建物なので医学部の認知度は低めですが、なんだかありがたい名前ですね。


この孝養舎、つくりが独特でしてB1~4階はエレベータで上がれるのですが、5階の体育館と屋上(屋上が閉鎖されて久しい今となっては行き方も謎ですが)だけは階段で登らなければなりません。


そしてその5階体育館になぜかあるのが…






こちらのグランドピアノです‼🎹





(画像:2016.06.12 慶應理系交流戦)


…完全にピアノとは思えない扱いを受けていますが、一応音は出るんですよ。たまに謎のピアニストが弾き鳴らしている姿も見かけます。

よく見ると右奥にホコリを被ったオルガンも…


ピアノが体育館にあること自体も謎なのですが、もっと不思議なのはなんと、

誰もこのピアノの所有者を知らない

という事実です。


当然、こんな状態ではボールは当たるわ物は置かれるわで劣化していくことはもちろん、調律師もいないのでペダルはガタつき、音も悪い(らしい)ので、ピアノにとっては最悪!

卓球部としても最近部員が増えてきてもっと台を出したいので、ピアノをどかしたい!

ということで2,3年前に先輩が学生課に相談しにいったらしいのですが、「学生課でも所有者がわからないので手が出せない」と言われたんだそうです。


ではこのピアノ、いったいいつからあったのでしょう? 

手元にある資料でわかったことは…






遅くとも1992年には存在していた!



(画像:1992 秋看護大会

 ※顔を加工してあります)


ということです。

つまりあのピアノは約30年間テーブル代わりに使われていたということなのでしょう(笑)

この時の写真を何点か見ると、どうやらオルガンはまだなかったようです。


前述の出典によれば孝養舎(当時は「看護短期大学校舎」)は1988年竣工とのことですから、竣工時からピアノが設置されていたのかもしれません。それが2001年に看護医療学部が設立・2003年に看護短大が閉校という歴史の中でうやむやになってしまったのでしょうか。


孝養舎を語る貴重な史料と判明したピアノ、もう少し大切に使おうと思います…


次回:【七不思議③④:矛盾する自販機の謎を追え!


お読みいただきありがとうございました。     

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